H 66ページの下段 沈園の最後の列 (NHK 漢詩紀行、監修:石川忠久・著者:牧角悦子)

「曾是驚鴻照影来」

その一番最後の「来」と言う字は 文末に用いて語意を強める助辞であり、

読まなくてよいのではないでしょうか。

  即ち、「〜 驚鴻の影を照らせり」です。

 

「沈園」、陸遊

               この漢詩の読み

城上斜陽画角哀       じょうじょうノしゃよう がかく かなし

沈園非復旧池台       しんえん また きゅうちだいニあらず

傷心橋下春波緑       しょうしん きょうか しゅんぱ みどりナリ

是驚鴻照影来        かつて これ きょうこうノ かげヲてらセリ。

 

この漢詩の

町外れの庭園に夕日は斜めに差込み 角笛の音が悲しく響き渡る

昔あなたと再会した沈園を訪れた私は かつてと同じ池と楼台とを前にしてはいるが
池も楼台も二度と あの頃と同じ姿では私の目には映らない。

悲しみに満ちた心で渡る橋の下には、春の緑を湛えてさざなみ立つ水面

あの時この水面は 驚いて飛び立つ白鳥のような、悲しくも美しい 貴方の姿を映し出していたのだ。

 

 

漢詩についてのワンポイント アドバイス

〔長江と黄河〕B - - - - 漢詩に詠まれた二つの大河

厳しい自然背景の中、雄々しく豪快に流れる黄河と神秘的で華麗な文化を生み出しつつ豊かに流れる長江とは、北と南、

男性的なものと女性的なものを体現して、中国文化の様々な系統に受け継がれ、漢詩の世界にも詠われます。

黄河を詠んだ詩としては 王之渙(オウシカン)の涼州詞(リョウシュウノシ)が有名です。

尚、長江は 長く広い領域を流れる川ですので、そのものを詠った詩はありません。むしろ その一部分、

巴蜀(ハショク・現在の四川省)から山峡に至る渓谷、洞庭湖畔の光景、或いは 下流の揚州の水辺の賑わいや

河口の繁華な街がそのテーマとなります。李白の「早に白帝城を発す」、杜甫の「岳陽楼に登る」、

杜牧の「揚州」「秦淮(シンワイ)に泊す」等がそうした漢詩です。

尚、日本では長江のことを一般的に「揚子江」と呼びますが揚子江と言うのは、実は 長江の一部分の呼び名です。

南京から揚州のあたりを河口に向かって流れる長江を土地の別称として揚子江と呼んだ事が、日本では、長江全体を

揚子江と呼ぶに至ったものです。

漢詩紀行100選から抜粋


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