E 37ページ念奴嬌の件(NHK 漢詩紀行、監修:石川忠久・著者:牧角悦子)


下段の3列目の読み下し。

「多情 まさに笑うなるべし 我が」「早く(ハヤ) 云々」と なっていますが、 読み下しも意味不明です。
「なるべし」と古い言い回しがあるかと思えば 「はやく」と口語になっていて 一貫性がありません。

ここは「多情 まさに我を笑うべし、つとに華髪を生ぜしを」です。

尚、前の1列目の「煙滅」は 熟語であり、「エンメツす」と読むべきです。
  「けむりめつす」では 音訓まじりで整合性がありません。

念奴嬌  赤壁懐古、蘇東坡

                この漢詩の読み

大江東去          たいこう東にさり
浪淘尽、千古風流人物    波は あらいつくせり、せんこの風流人物を
故塁西辺          こるいの せいへん
人道是 三国周カ赤壁     人は言う これ 三国の周カの赤壁なりと
乱石崩雲          らんせきは 雲を崩し
驚濤裂岸          きょうとうは岸を裂き
捲起千堆雪         せんさいの雪を捲きあぐ
江山如画          こうざん がのごとく
一時多少豪傑        一時たしょうの豪傑ぞ

遙想公瑾当年        はるかにおもう こうきんの とうねん
小喬初嫁了         しょうきょう 初めて かし おわり
雄姿英発          ゆうし えいはつたり
註綸巾          うせん りんきんし
談笑間、強虜灰飛煙滅    談笑の間 きょうりょは 灰と飛びて えんめつす


故国神遊          故国に こころは 遊ぶ
多情応笑我         たじょう まさに 我を笑うべし
早生華髪          つとに かはつを しょうぜしを
人間如夢          じんかんは 夢の如し
一樽還酹江月        いっそん また こうげつに そそがん

 

この漢詩の訳

 

長江の流れは ひたすら東に向かい

その波は 昔の英雄 豪傑たちの生きた形跡を すっかり洗い流してしまった

古い砦の跡の西のあたり、人は言う「ここは 三国時代、呉の周瑜の戦った赤壁だ」と。

ごつごつした岩は 上天の雲をも突き崩し、

激しい大波は 岸辺をも裂き 千層にも降り積もった雪をも巻き上げる。

河も山も まるで絵のように美しい

あの赤壁の戦いの時には いったい どれほどの豪傑が ここに集まったのであろうか。

遙かに(三国時代に)思いを馳せれば、公瑾(周瑜の字)の当時

小喬(絶世の美人)は (周瑜に)嫁ぎたてであった

(周瑜の)雄々しい姿は、颯爽としておる。

(周瑜は)綸子の頭巾に羽毛の団扇を手にし、

談笑している間に強敵は 灰と飛び散り 煙となって消えうせた。

(今、私は) いにしえの国々の興亡に思いを馳せている

「その思いいれの多さゆえに そんなに早く白髪になった」と きっと私を笑う人もいるだろう。

人の一生は 夢のように過ぎる

さあ、一樽の酒を 更に一杯 この長江と そこに映る月とに注ごうではないか。

 

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*「綸子の頭巾に羽毛の団扇を手にした諸葛孔明と談笑している間」と 捉えている中国の

専門家も一部いるようですが、冷静に考えると 場面は 激戦のさなかであり、

その最中に 例え、同盟国の軍師とはいえ 同じ船に乗って 談笑などありえない。

完全に勝利した後の戦勝談義ではありません。背水の陣での周瑜の放火作戦である。

風向きが変わらなければ 負けていた戦であることを考慮すれば、当然ここは 同じ船で作戦を

履行していた側近との談笑と 捉えるのが自然である。

 


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