B   20ページ上段の1列目(NHK 漢詩紀行、監修:石川忠久・著者:牧角悦子)

「日高 云々」の部分の読み下し部分です。

「起くる」と文語的に読んでいるが 上の「足りる」が口語的で一貫性が無いのでは。

ここは「猶」の字もあるので、「足るも」が的確なのではないでしょうか。

又、4列目の「撥」は「かかげる」とは 読みません。

日本一詳しい大辞林にも「かかげる」と言う読みは無く、「ハネテ・ハネアゲテ」とあります。

清少納言も枕草子の中で「みすを高くあげたれば」と読んだところを考慮すると、

「簾をアゲテ看る」となり、平安時代の人は 「撥」を「アゲ」て、と読み、

近代の先人が「かか」ゲテ、と訳したものを いつしか 読み下し文字にまでカナを振った為その間違いが踏襲された。

訳文が 読み下し文と逆になってしまった。

尚、明治生まれの岸上文学博士は「アゲ」て、と読んでおります。

ここは 元に戻して 正しておく必要があると思います。

 

「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」、白楽天

                この漢詩の読み

日高睡足猶慵起       ひ高く眠りたるも なお おくるに ものうし

小閣重衾不怕寒       しょうかくに しとねを 重ねて 寒さを おそれず。

遺愛寺鐘欹枕聴       いあいじのかねは 枕をそばたてて聴き

香炉峰雪撥簾看       こうろほうの雪は すだれを あげてみる。

匡廬便是逃名地       きょうろは すなわち これ 名を のがるるの地

司馬仍爲送老官       しばは なお老いを送るの官たり。

心泰身寧是帰処       心やすく 身やすきは これ きするところ

故ク何独在長安       故郷なんぞ ひとり 長安にのみ あらんや。

 

この漢詩の訳

おひさまは高く上がり 眠りも十分に足りているのだが 起きるのが おっくうである

小さな たかどのに重ね布団で寝ていれば、寒さも感じない。

遺愛寺の鐘の音は 枕を斜めにして(枕と頭の間に隙間を作って、音が聞けるようにして)聴き

香炉峰の雪は 簾を手ではね上げて眺める。

匡と言う名の廬山は 名を捨てる地にふさわしい

司馬と言う官職は、やはり老いの日々を送るのに恰好の官職である。

心がやすらかで、体がくつろげる所こそが、おさまるべき安住の地である

故郷とは、どうして都の長安だけになろうか(長安だけが故郷ではない)。

 


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